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大人の自由研究!品川駅の「レインボーロード」を自力で調べてみた【Re-FRESH郷土史研究部vol.1】

こんにちは、品川オタクになりつつあるRe-FRESH編集部の塩谷です。

品川の今を楽しむ地域情報をお届けしているRe-FRESH。今をもっと楽しむために、これまでこの街で起こった出来事ももっと知りたい。

そんな思いで、ひっそりと「郷土史研究」をはじめようと思います!

今回のテーマは「レインボーロード」

第1弾のテーマは、品川の人ならおなじみのこの場所です。

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品川駅港南口から改札に向かう風景

品川駅の改札を出ると、港南口と高輪口に向かって伸びている東西自由通路。あの通路には、レインボーロードという名前があるのをご存知ですか?

「そんなの当たり前じゃん!」という方も多いと思いますが、知らなかった方もいるのではないでしょうか。

確かに、あまりピンとくる名前ではありません。レインボーブリッジみたいに虹色に光るわけでもないのに、なぜそんな名前が付けられたのでしょう?今回は、「レインボーロード」の名前の由来に迫ってみようと思います。


レインボーロードができる前のこと

ということで、やってきたのは芝公園の近くにある港区立みなと図書館。まずは自力でヒントをつかんでみようと思います。

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こちらがみなと図書館

レインボーロードの開通については、『わたしたちのまち ベイエリア』(港区芝浦港南支所発行)という地域の記念誌から見つけることができました。その中の芝浦・港南地区に関する歴史年表よると、「1998年11月1日、品川駅の東西を結ぶ自由通路が完成。利便性が飛躍的に向上した。」とのこと。

飛躍的、かぁ・・・。

ところで、レインボーロードの正式名称「品川駅東西自由通路」。そもそも自由通路とは何なのでしょうか?

国土交通省が定める要綱によれば、次のように定義されています。

本要綱の対象とする自由通路とは、既存の停車場内で鉄道と交差し、専ら歩行者、自転車の交通の用に供する道路又は通路等をいう。
https://www.mlit.go.jp/toshi/crd_gairo_tk_000007.html

なるほど、レインボーロードの下には線路が通っていて、私たちはその上を自由に歩いて渡っていますね。

そういえば、前に品川駅港南口町会の谷田睦二さんの取材をしたときに、「昔の品川駅では入場料を払わないと高輪側から港南側に渡れなかった」と聞いたのを思い出しました。

その時の取材記事はこちらです👇
※記事中には当時の地下道についての言及はありません。

そうなると、やはり気になるのはレインボーロードができる前のこと。当時の品川駅の様子は、どんなものだったのでしょう?

『わたしたちのまち ベイエリア』からその様子を見ることができました。

「地元の皆さんに聴く『まちの移り変わり』―わが愛すべきベイエリア」での常住碩人(せきと)さんと大野誉司(たかし)さんの対談より

常住:戦後すぐのころは街にまだ何もなくて、辺りは倉庫ばかりが並んでいました。今のようなにぎやかさはなく、人通りも少なくて寂しいまちでしたね。

大野:思い出すのは品川駅東口の地下道。水がぽたぽた落ちてくるような道で、大雨が降ると水が溢れていました。駅もまだそんな状態でした。今の品川駅からは想像もできませんが。

なんだか、じめじめした場所だったようです。ですが、これだけでは当時の地下道の様子はまだわかりません。続けて資料を引っ張り出してきます。

『駅史しながわ』(品川駅編集・発行)によれば、その地下道については「幅 八米―四・五〇米、長さ 一九七米」という記載を見つけました。残念ながら、レインボーロード開通直前までずっとこの数値だったのかはデータが見つけられませんでした。

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大雨が降った時のイメージ(想像です)


由来は、「じめじめ地下道にかかる希望の橋」?

この他にも、1990~2000年代の品川駅港南エリア開発時の環境評価書などもチェックしました。

そこには、当時の地下道の混雑についての首長・住民の意見や、自由通路の早期開通を目指すといった開発者側の返答が残されています。

そんな当時の空気感も考慮すると、名前の由来には「じめじめ地下道にかかる明るい希望の橋」のような意味を込めたものという仮説が立てられそうです。

厚い雲がかかったどんよりした空のような通路が、雲が晴れ日の光を感じられる明るい場所になった。それだけではなく、高輪と港南がより行き来がしやすくなったという背景から、「レインボー」と名付けられたのではないでしょうか?

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窓から光が差し込むレインボーロード


調査は続く!

しかし、これはあくまで歴史研究部の仮説です。

実際にはどんな意味で作られたのか、またレインボーロード完成直前の様子はどうだったのかは謎に包まれたまま。

次の調査では、この謎に迫って見ようと思います。次回もお楽しみに!


参考資料
興和不動産(1994)『興和品川駅東口地区開発事業 環境影響評価書』
品川駅編集・発行(1962)『駅史しながわ』
東日本旅客鉄道(2004)『(仮称)品川駅東口駅ビル計画(アトレ品川)事後調査報告書(工事中その3)』
港区芝浦港南支所発行(2011)『わたしたちのまち ベイエリア』

国土交通省HP「自由通路の整備及び管理に関する要綱について」(最終閲覧 2021年3月18日)←後日更新
https://www.mlit.go.jp/toshi/crd_gairo_tk_000007.html